米農家中西のデジカメ百姓日記

2010年6月21日

不耕起田で藻類大発生

我が家の田んぼは秋に収穫の終わった田んぼを耕さず、冬の間水を溜めて、春に表面を少し引っ掻く程度に土をやわらかくした田んぼ(半不耕起田)と全く耕さない田んぼ(不耕起田)があります。両方ともワラを土中にすき込まない為、ワラが水中で分解し、緑藻類が一面に繁殖します。最近の気温の上昇と共に、その藻類が田んぼで水面を覆い始めました。
藻類は光合成作用でCO2をO2に変えます。一般的に行われている耕す田んぼでは土中の酸欠状態で大量の有機物が分解し、メタンガスを発生します。メタンガスの温暖化力は、CO2の実に58倍もあるそうです。耕さない田んぼでは、メタンガスは殆ど出ないそうです。また、藻類は水中に大量の酸素を放出し、動物性プランクトンなどを大繁殖させます。生物にとって巨大なビオトープとなってます。
これは一般的な耕して、農薬、化成肥料を使用している田んぼの様子。藻は全く発生していません。

2010年6月13日

ナウシカの金色(こんじき)の野

その者、青き衣をまといて金色の野に降り立ち、人々を清浄の大地に導く ”、皆さんこの言葉どこかで聞いたことありませんか?そう、「 風の谷のナウシカ 」の最後の方の場面で出てきますよね。下の写真は減反した田んぼの収穫間近の麦です。なんとなく”金色の野”というのは麦を連想します。風でなびいている姿はとてもきれいなんですよ。

これは麦の穂に近づいて撮った写真。

2010年6月12日

権兵衛峠に沈む夕日

あ~、もう少し早く撮っていたらな。オレンジ色のまん丸の夕日が撮れたのに。カメラを持って裏庭に出た時は既に、雲間にほとんど沈みかけていました。沈んでいく中央アルプスの北端のくぼんで見える峠は権兵衛峠と言います。

 権兵衛峠はその昔、米不足の木曽へ伊那の米を運ぼうと、木曽町日義神谷の牛方、古畑権兵衛が木曽11宿にこの峠の開発を呼び掛け、自らも進んで工事を進めました。伊那側では木曽の助郷人馬役(中山道経営のための労働提供)の割り当てを恐れ、初めは開発に消極的でしたが、ついには伊那側15ヶ村の協力により元禄9年(1696)に完成したのです。
 以後、伊那からは大量の米が、木曽からは漆器などが運ばれました。以来この峠はいつしか「権兵衛峠」、峠への道は「米の道」と呼ばれるようになったのです。

2010年6月6日

お米のお客さまを田んぼにご案内

今日は地元にお住まいのお米のお客様 Sさんがお米を受け取り来てくださったので田植え後の冬期湛水、不耕起の田んぼに案内し、見ていただきました。


無農薬、冬期湛水、不耕起の田んぼの土手際にはセリが繁茂し、アゲハチョウの幼虫をよく見かけます。今日も2種類の幼虫を見かけました。


かねてから田んぼの水管理を共にやっている妻の希望で、用水路で安全に入水、止水ができるようにブロックの階段と頑丈な橋、新しい止水板を設置しました。

将来はネギ農家としてもやっていけるように・・・・・・・?? ネギの新しい栽培方法を試行しました。もちろん無農薬、有機肥料による栽培です。ネギが立派に育ったあかつきには、皆さんにお米のおまけとしてお付けできると思います。

これは玄関の軒下にぶら下がっていたみの虫。人が衣をまとっているように見えませんか?

2010年6月4日

田植え後の不耕起田 その2

 早朝5時、田んぼの土手草刈りに出掛けようと外に出たところ、朝日がとてもいい感じで南アルプスの後ろから昇り始めていました。愛用の一眼レフカメラは若干、泥付きです。そのカメラを手に、軽トラで田んぼへ向かいました。予想通り、不耕起の田んぼは気持ちのよい朝日を写しだし、輝いていました。

夢中で撮っていたその時には気づきませんでしたが、写真に写っていた苗は葉先に水滴をちょこんとのせて、輝点となって輝いていました。

苗は葉が一部ドロオオイ虫に食べられたのか葉脈が透けていました。

会社や集団に古くからいる人のことを” 古株 ” と言いますが、新米と古株はこんな風景から生まれた言葉のような気がしてきました。
 この写真を土手にかがみこんで撮っていたら、散歩途中の老夫婦のご主人が遠くの方から、心配して、大丈夫ですかと声を掛けてきました。具合でも悪くなって、ふさぎこんでいたと思ったのでしょう。

僕の愛用の一眼レフカメラは農作業の最中に撮るので泥付きです。